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057. ネット依存 2007/09/06
レイ
初めまして。20代で未だ某MMOから脱却出来ずにいる所謂ニートですかね・・・
MMOを知ったきっかけは高校時代友人からの誘いでした。
当時成績が余り芳しくないのもあってか、最初は2-3時間遊んでいたものが、日々プレイする時間にMMOが逃避先へと変化して行きました。
この辺はここのログを見ていてもMMO内で話を聞いて見ても大体皆同じ経緯ではまってますね。
そして大学受験を控えても私は「大学行って何になるんだ?行って大学卒業して就職先が無かったらどうするんだ?」と言い張りMMOに逃避していました。
当時両親の離婚も関係してかわかりませんが(自制心が無かっただけだと思う)その辺から度々学校をサボってネットカフェへ行ってオンラインゲームをする様になったりしていました。
そして高校は卒業しました。
今思えば何一ついい思い出が無い高校生活でした。
学校に行く>授業中うとうと>家に帰る>MMO(夜中まで)の永遠ループでしから・・・
高校卒業後、自分がどうしたいのか、それすらわからずただ只管オンラインゲームに逃避していました。
何度かこれでは本当にやばいとバイト先を見つけてバイトをしたりしていたのですが、2-3ヶ月で辞めてしまってまたゲームに戻ったり、を繰り返ししてしまいます。
そろそろこの生活に終止符を打ちたいのですが、ここのログを見るとPCを捨てるというのが挙がっていましたが、自分にはその勇気がなさそうです・・・
何かいいアドバイスがありましたらお願いします。
返信(管理人)
レイさん
経緯はよくわかりました。
レイさん自身が感じているように、自制心が無かったというのが根本の原因なのかもしれません。
依存を克服するのは物質的な物に頼るのか、精神改革のどちらかだと思います。
まず、物質的な面では、PCが捨てられないのでしたら、プロバイダーを解約したらどうでしょう。
ご自身に現在収入がないのでしたら、通信料やプロバイダー料金は誰かに支払ってもらっているはず。
ご自身で通信料を払えるまで解約ということで、ネットのない生活に、ストンとはまってみては?
あとPCは捨てられないのでしたら、友達に預けるなど友達の協力を得てはどうでしょう。
とにかくネットやテレビなどスイッチひとつで楽しみを得られる受動的なメディアのない生活をしてみては?
なにもないというのは耐えられません。
何か生み出す原動力になるかも・・・・・。
そして、精神改革ですが、これは難しいです。
誰しも経験はあると思いますが、自分が思うような結果が得られないとき、何か自分以外に原因があるように考えてしまいます。
レイさんがいうところの「大学行って何になるんだ」またご両親の離婚など・・・・・
でもレイさんはそれが自制心が無かったから、と自分感じてますよね。
それだけでポイント高いと思います。
そこに気付かずに人のせいにしたまま人生を恨む人も多いわけですから。
人として、状況や環境のせいにして人生を受け身でいるより、自分で未来を作ろうとするくらいの人の方が魅力的です。
高校生活に思い出がなくてもいいじゃないですか。
過去のことなんですから。
先のことに思いを馳せましょう。
自分が興味あることに近づく。
ゲームが好きだったらゲームの作り手に。
映画やアニメが好きだったら、製作にかかわる仕事や学校に。
トランスフォーメーションあるのみ。
また、私自身、ゲームはNGとは思いません。
ですが、現在のレイさんにとっては未来を奪うウィルスでしかないのかも。
30歳40歳になってなにも残らずイライラして生きるより、高校3年間の空白を無駄にしないで、貴重な経験だと思って活かそうよ。
レイさんは漢字の変換や、文章がしっかりしているし、自分の中身もよく見ています。
レイさんの変身楽しみにしてます。
返信(レイ)
返信ありがとう御座います。
自己改善と言いますか、ネット自体をある日ぱったり辞めてしまった方が効果はやはり高いのでしょうか。
徐々にパソコンに触れる機会を減らして行った方がいいのでしょうか・・・
そこを悩んでる時点で甘い考えなのかもしれません。
友達に預けると言っても。
自分でこう言うのももあれですが、信頼出来る友達等がいないに等しい人間です。
ネット依存になって払った代償は人間関係の疎遠みたいです。
でも、親や家族の事。そして何より自分の事を考えるとこれから先、自分がどう変われるのか、又、どう変えたら理想の自分に変われるのか。
そういう事を少し考えてみます。
しかしながら、一端に資格も経験も何もない自分には働き口もアルバイトや契約期間社員程度でしか使ってくれる所がありません。
アルバイトや契約期間社員と正社員の違いはやはり格差がある物だと思いますが、アルバイトをしながら正社員を目指すのか。
正社員になれる所を頑張って探すか。
そんな事を今考えていました。
こうやって書いていて思いますが、自分の意思が弱すぎなんですよね。
何でこんな弱い人間になってしまったのか、自分でも腹だたしいですが、これが自分なんですよね。
こんな自分に自問自答しても夢も目標も今の所思いつきません。
ただネットを1日朝起きて寝るまでしている今の生活。
客観的に見るとキモいか馬鹿か。
そんな事しか思えません。
そして辞めたい理由の本心は多分、他人にキモいとかそういう事を思われたくないからだと。
そう思います。
何か書いてるうちに考えがごっちゃになってしまいました。
今の社会は、自由と幅がありすぎて、自分は何がしたいのか、どういう職業に就きたいのか。
そういう事さえ判断に迷いが出て来るのが本心です。
でも実際働いてる人は皆ほぼ90%自分の夢とはかけ離れた職業の人が多いのでしょう。
それでも生活する為に働いている。
そういう人間に自分もなれるかが不安です。
ほんと生意気言ってすいませんが、これが多分本心です。
自分の精神改築。
これをどう自分でしていったら望ましいのか。
もしかしたら自分だけでは出来ない事なのかもしれない。
そんな事も思いますが、ちょっと頑張ってみますね。
今の社会に溶け込めるよう。
今の社会が正しい正しくないが全てではなく、それを受け止める心が必要だと。
これから自分に言い聞かせなければなりません。
長々と失礼しました。
とにかくバイトでもして見ないと何も変化無いですから、仕事しようと思います。
返信(とおりすがり)
以前ネットゲームに数年間ハマってやめようにも やめられなかった経験者として、今は自然に少しも やりたい気がしない者として、コメント。
いきなり絶つやりかたはしなかったので、その場合の効果は分かりませんが、私の場合は少しづつ離れるやり方をしました。
何故そうしたかというと、こんな話を聞いたことがあったからです。
子供を突然死で亡くした母親が、周囲の人々や自分自身のために、その悲しみからはやく立ち直ろうとして、忘れるように努め、亡くなった子供の話題を避け、写真を奥深くしまいこみ、見ないようにして、明るく振舞い、前向きに生きようとすればするほど、心はそれを忘れられず、返って鬱を引き起こし、本当の意味での心の立ち直りが遅れるか、あるいはできないのだそうです。
それより、忘れようとせず、むしろ、写真を見て、子供の思い出にひたり、子供のことを、声に出して周囲の人や、できれば同じ経験をもつ母親同士語り合い、気が済むまで語り合ううちに、次第に心が悲しみを受け入れ、本当の意味で心が自立を果たし、前に向かって歩き出すことが出来るようになるんだそうです。
また、やがて盲目になることを宣告された人が、最初は絶望と悲しみのどん底だったけれども、目の見える間に、しっかりと事物を見ておいて、その色や形について、語り合う、ということをしたいと思いつき、カウンセラーに依頼し、視力を失っていく過程で、カウンセラーとそのことについて語り続けるうちに、やがて、絶望はせず、前向きにその不幸を受け入れることができるようになったのだそうです。
ネットゲームを抜け出すときに、ゲームは良くないし、決別するとは決めたものの、この話を参考にし、 いつでもやってよいと自分に許しました。
一方で、人生の大事なことを進めつつ、やりたければゲームもし、思い出のものは全て保管し、少しづつ比重を現実に傾けて行きました。
今もゲームソフトはパソコンにインストールされているし、それに関するさまざまなものもとってあります。
アイコンはデスクトップにありますが、起動してみることすら、今はなくなりました。
でも今でも、そのことは思い出として心の中にありますし、それを負の記憶として、無理に打ち消す気はありません。
でも、いつか、思い出すことすら、もっと少なくなっていく気がしています。
返信(管理人)
様々な体験や、意見や考え方、そして依存を抜け出した経緯が寄せられて、本当に人の数だけいろいろなパターンがあり、人間ってすごいと思います。
沢山の人の経験を自分にどう還元していくかの試行錯誤がその人にとっての重要な作業なのだと思います。
とおりすがりさんのお話にあるように、体験した人同士が集まって気持ちを語り合うことも、大事だと思います。
サークルのように会うって話をすることに抵抗があれば、このような掲示板でいろいろな方の体験談を読むのも一つの手段だと思います。
レイさんの言葉も生意気なんて微塵も思いません。
むしろ社会の多くの人が同じ気持ちで生活しているのではないでしょうか。
理想の自分像
親や家族のこと
社会への不安・不満・絶望感
未来への不安
就職への悩み
他人が見る自分の評価
むしろ、レイさんが特別な人ではないことの証だと思います。
そのなかで、一歩外にでる。
バイトでも十分じゃないでしょうか?
部屋の中にいる自分より、見分が広い自分に変化し、その中でまた新しい考えや意識が生まれる。
なにも変化のない生活よりも、自分になにか与えるきっかけになるかも。
とおりすがりさんのように、少しずつ離れていく方法もあります。
自分にとって興味のあることや大切なことが外界もしくは、自分の中に見つかるかもしれません。
返信(レイ)
管理人さん、お久しぶりです。
ここへ書き込みをしてから約2年が経ちました。早い物ですね。
私は今某大学へ通っています。
あれから色々と思い悩みながらもダラダラとMMOを続けていました。
特に何も考えず、その時の自分から逃げながら。
ですが、ある日漫画を買いに本屋へ行った時、偶々高校生が参考書を必死に選んでる姿を目にしました。
その時、自分にか細い分岐点が出来ました。
あの時代(高校3年生)何も勉強しなかった苦い思い出がフラッシュバックし、漫画ではなく大学の紹介本を買いました。
そこからは結構怒涛の1年間でした。
すぐに説明会へ行き、受験し、入学しました。
お金が無かったですが、奨学金を借りました。
その時もう既にMMOは脱却しました。
我ながらアッサリな物だった気がします。
そして新たな生活がスタートし、勉強一身にやっていました。
すると先日国家試験があったのですが、それにも合格出来ました。
ちょっと自分に自信が出来た瞬間です。
喜びは一塩でした。
今日偶々このサイトを改めて見まして、ちょっとご報告までと思い書き込みました。
その節はお世話になりまして、有難うございます。
返信(管理人)
レイさん
よかったです。
レイさんのお話にあるような 案外"あっさり"したものだった。
という言葉をときどき聞きます。
脱却したらあんなに夢中だったのはなんだったんだ?
全く興味がなくなった。という人もいます。
人それぞれの脱出方法があると思うのですが、レイさんの体験、経験、感じたことというのはこの掲示板を見ている方に励ましになるのではないかと思います。
最近思うのです。
冤罪で17年間を失ってしまった方が話題になっていますが、ネットだけに関心を寄せてPCの前に座り続けて数年すごしてしまう。
同じように過ぎ去った時間というのは二度取り返しがきかず、 大変貴重なものだったのではないのかと。
ネット依存からあっさりと脱出したときに浦島太郎にならないように オンラインゲームなどネットを利用する人は 現実にもしっかり根を張っていてほしいと思うのです。
レイさん本当によかったですね。